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December 30, 2006

よくぞ日本に生まれけり

 関西在住1年の今年の収穫のひとつは、伊勢・志摩めぐりであった。
2000年もの間、ひたすら祈り、清められてきた場所、伊勢の神宮。ギリシャ神殿やエジプトのピラミッドは過去の遺跡だが、こちらは神話さながらのファンタジーに満ちた生きた聖地である。
 西行法師が「なにごとのおはしますか知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と詠み、弥次さん喜多さんはじめ、江戸の庶民も「伊勢にゆきたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」と願い、昨今は若い女性のスピリチュアルブームに沸いている。
 そして、海や山の幸に満ちたこの地は日本書紀に「美(うま)し国」と記されるほど、神様お墨付きのグルメ天国でもある。
 日本人に生まれてよかったとはしゃぐ魔女。「よく来た」と風に聞こえ、「去りがたい」ともらしたのは、日頃全くの無信心な連れであった。

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December 25, 2006

第九虎の巻

姫路市民第九を歌う会の合唱を聴いた。
喜びよ。美しき神の霊感よ。歌う人も聴く人も、友愛の気持ちが自然に沸いてくるようなひと時であった。
 年末のベートーベン「第九」が日本に定着したのは、高揚感が国中を覆った高度成長期だった。各地でいろいろの合唱団が歌い継ぐ「第九」はすっかり、季節の風物詩として親しまれるようになった。
 12月24日付の日経新聞「春秋」に面白いエピソードがあった。
ドイツ語の暗記で苦しんだ、東京向島料亭の芸者衆の合唱団のために“虎の巻”が考えられたのだという。
 風呂出で(フロイデ)
 詩へ寝る(シェーネル)
 月照る糞犬。(ゲッテルフンケン)
原意とはかけ離れるものの、人生を明るく楽しむ気持ちが伝わってくるではないか。
 人は皆独りぼっちではない。金銭だけが幸せの源ではない。
シラーの原詩は、「この星空の上に、愛する父なる神がきっと住んでおられる」と歌う。
 蒸す(ムス)
 愛ん(アイン)
 利減る(リーベル)
 負当てる(ファーテル)
 忘年!(ヴォーネン)
“虎の巻”版もなかなかだ。

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December 24, 2006

 クリスマスプレゼント

『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』の作者、ロバート・フルガムの言葉である。
 
“わたしが本当に、心の底から切望するクリスマスの贈物とは、打ち明けた話、こういうことである。

 一時間だけ、五歳の子どもに返りたい。
 笑いたいだけ笑い、泣きたいだけ泣いてみたい。
 一度でいいから、誰かの腕の中であやされて眠り、そのままベッド に運んでもらいたい。
 私は子どもに戻りたい。” 

 アメリカで「フルガム現象」を起こしたといわれる400万部のベストセラーは、子ども心に返れ、と語りかけている。
人々はいつの間にか忘れかけていたかけがえのないものを、この書によって思い出した。
あのわくわくする子ども時代の時間、あの濃密な充実した生の時間を。

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December 23, 2006

サンタクロースが赤い服を着るようになった日

 白い口ひげに赤い服、これが世界で親しまれているサンタ像である。 
サンタクロースのモデルは、3~4世紀に実在した聖ニコラウスと言われているが、キリスト教司教として、貧しい子どもたちの家に煙突から金貨を投げ入れるなど、数々の伝統を持つ。1822年、アメリカでクレメント・クラーク・ムーアが発表した詩「聖ニコラウスの訪問」に、トナカイの引くそりに乗り、クリスマスイブの夜に子どもたちにプレゼントを渡す存在として描かれた。
しかし、赤い服を着ていたとは思えない。サンタさんは、いつから赤い服を着るようになったのだろうか。
 19世紀後半、アメリカで活躍した風刺漫画家のトマス・ナストのイラストで、広くサンタ像は広まったと言われているが、最初から赤い服を描いたわけではない。ライフワークとしてサンタを描き始めた1863年、茶色の毛皮を着ている。描き続けるうちに、毛皮の赤みは増し、1881年のイラストでは、赤い服となっている。赤い服のサンタ像「生みの親」というわけだろうか。
 そのナストが確立した赤いサンタ。それが世界に広がるきっかけを作った「育ての親」もアメリカにいる。
描いたのはハッドン・サンドブロム。コカ・コーラの広告に広告に30年以上もサンタの絵を提供した人である。コーラの宣伝だから、サンタといっしょにコーラも入っている。
 3~4世紀の聖ニコラウスが19世紀の詩でクリスマスと結びつき、ナストの絵で赤い服を着るようになってコーラの広告と共に世界に広がった。
 明日はクリスマスイブ。日本の子どもたちもサンタの訪問を待っている。   (参考:12/23、日経新聞)

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December 22, 2006

立ち上がった平成のおやじたち

 地震、雷、火事、おやじ、これらは怖いものの代名詞であった。
今もこの番付は不変であろうか。
昨今は、忘れないうちにやってくる天災、多発する火事は、人災とすら思える。
そして、戦後60年でその地位を著しく低下させた親父の威信。
こどもと過ごす時間が先進国で最も低いなど、子育て面での悪評も軽視できない。天災はさておき、この汚名をそそぎ父親の復権を目指そうとする動きが最近各地で活発化し、平成時代のおやじ像はその姿を徐々に変え始めているという。(12/4、日経夕刊「先望鏡」より)
 相次ぐ「おやじの会」の旗揚げである。
「子どもたちに信頼され、時には怖がられる『地域のおやじ』としてパワーを発揮しよう」と宣言して、2003年10月3日(とうさんの日と定めた)、京都「おやじの会」連絡会が発足した。同会の呼びかけで今春発足した日本「おやじの会」連絡会には、23都道府県44団体(個別の会単位では約800団体)から加盟申し込みがあり、活動の和は全国規模で着実にひろがっている。魔女も応援団を結成、希望者にはホーキにものせて差し上げようと、只今爪を磨いている。
来年2月には、地元で国際oyajiサミットも開く。
 地域の教育力低下が嘆かれ、親はなくとも子は育つといわれた時代の強固なコミュニケーションも今はない。

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December 15, 2006

親孝行は、何よりも求められる徳目

 韓国から来た若い友人に聞いた話である。
家族の絆が日本より強いような気がするという。結婚するまでは親元にいるのが普通で、結婚してからも、正月や仲秋はもちろんのこと、親の誕生日や祭祀など、家の行事があるたびに、顔を出さなければならない。その折の伝統料理も、娘やお嫁さんの役割分担の比重は大きい。
 もっとも近年では、母親が結婚した娘に、お手製のキムチをもって行く風潮があるが、自分でキムチが漬けられない娘が増えているのは、時の流れか。
共働き夫婦は子どもを親に預けることも多い。離れて暮らしている場合、長い間親に預けたままということもあるようだ。
親との絆が強い分、子どもにとっては、おじいさん、おばあさんが身近な存在になる。おじいさんやおばあさんは、家庭の中でしっかりした権限を持つことにもなるわけである。
 親孝行は、何よりも求められる徳目なので、親を大事にすることは子どもにも受け継がれ、孫たちが祖父母に対して尊敬の念をもって接しているのも納得できる。

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December 14, 2006

80才のネットアイドル!?

祖母ログ」というブログをご存知だろうか。
群馬在住の元気なおばあちゃんの暮らしを、同居のお嫁さんが記録し、東京に住む孫娘が編集して、更新するという女3世代のブログである。
いつも赤い服ばかり着るおばあちゃん。
毎日大鍋で料理を作りまくるおばあちゃん。
80歳を過ぎても、毎日運転しているおばあちゃん。
この度、そんなおばあちゃんが日頃作っている料理を母と娘が試作しながら、レシピとしてまとめて、“うんまいごゴハンがみんなをつなぐ”と本にまとめた。
冷汁、スイトンはもちろん、大根のほろ酔い漬け、ハム寿司などというものもある。ボルシチも赤ジソジュースと青ジソキムチも工夫がいっぱいでおしゃれだ。
 ときどき、おばあちゃんは右手を痛めて病院へ行く。
「今度は何を作りましたか」と医師。「ハイ、きんぴらゴボウを・・・」
「たしか、この前は秋刀魚100匹切ったのでしたよね」と苦笑いする先生。
手作りのお惣菜をこまめにパックしては遠方の親戚や知人に送るのがおなあちゃんのライフワークなのだという。
たまには“ローバの休日”も必要と言いながらも、「あたりまえの生活をしているだけなのに」と恥ずかしそうだ。
 笑顔が素敵な、ブログデビュー2年目のアイドルである。

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December 11, 2006

いじめ・不登校・校内暴力ゼロを“花づくり”で実現

長野県旧真田町(さなだちょう)(現上田市)には、公立の小学校四校と中学校二校がある。過去4年あまり、この町では子供の非行はゼロ、万引きも窃盗も、校内暴力も不登校もゼロ。いじめも今のところ見当たらない。上田市教育委員会の大塚貢教育委員長に聞いた、これまでの経緯である。(櫻井よしこブログ)
大塚氏は過去の経験の中で、在校生や卒業生が殺人などの凶悪犯罪を犯した学校を、一定の期間をおいて三度ずつ訪れてきた。一度では見えてこないことが、三度足を運ぶうちに見えてくるからだ。
 次は、事件3件について、関係する学校の様子である。
1、校門から見えるプランターの花はすべて立ち枯れている。植木鉢は前年から放置されていたと見え、枯れた植物のあいだから雑草が伸びている。 「校門近くの花ですから、生徒や先生がたも毎日見ているはずです。しかし、誰も手入れをしないまま放置されてきたのでしょう」と大塚氏。
2、「事件が起きた6月は花いっぱいの季節のはず、しかし校庭には一輪の花も咲いていない。潤いがない環境でした」。
3、ある高等学校、こちらは、いかにも費用をかけた立派な環境だが、なぜか学校らしさがない。「どこかのIT企業の工場か、保養施設のエントランスを思わせるたたずまいで、生徒たち自身が植物を育てている気配はないと。

 大塚氏は、
「生命の大切さをどう教えるべきか、試行錯誤でした。小動物の飼育、野菜やコメづくり、いろいろ試みましたが、そのなかで生徒たちが最も反応したのが花壇だったのです。春花壇も秋花壇も、土づくりから始めさせます。土を深く掘り、堆肥を加え、塊をほぐして種をまく。発芽から葉の成長、つぼみが育ち開花するまで毎日、水やりをする。世話をしなければ、花はしおれる、枯れる。この過程を通して、生命とはそういうものだと心に刻んでいきます」と語り、「かけた手間、注いだ愛情に応えて花が美しく咲いてくれる。生徒たちは真っ正直に喜びを表現する。おのずと優しさを身につけていく」と強調している。

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December 07, 2006

アイ・ラブ・ユー フォーエバー

 絵本『アイ・ラブ・ユー フォーエバー』(ロバート・マンチ作・乃木りか訳、岩崎書店)を読む。
親子の愛情のきずなを静かに語って感動を呼ぶアメリカの超ベストセラー絵本である。
ロバート・マンチは、カナダで最も人気の高いストーリーテラーであり物語作家。『ラヴ・ユー・フォーエバー』を始め、20冊以上の絵本が世界の国々で親しまれている。世界中の幼稚園や学校を飛び回り、子どもたちにお話を語り続けている。

 アイ・ラブ・ユー いつまでも アイ・ラブ・ユー
 どんなときも、私が生きている限り、あなたはずっと、私の赤ちゃん

お母さんは生まれたばかりの赤ちゃんをだっこしながら歌います。赤ちゃんはどんどん大きくなって2才になり、9才になりティーンエイジャーになりました。
でも、夜になり少年がぐっすり眠っているのを確かめるとお母さんは彼をだっこしながら歌うのでした…。

 アイ・ラブ・ユー いつまでも アイ・ラブ・ユー
 どんなときも、私が生きている限り、あなたはずっと、私の赤ちゃん

そして、お母さんは年をとりました。どんどん年をとっていきました。ある日、お母さんは息子に電話をかけて言いました。会いに来て頂戴。すごく年とって、病気になってしまったわ。息子はお母さんに会いに行きました。お母さんの部屋に入ろうとすると、お母さんはうたを歌おうとしているところでした。
 アイ・ラブ・ユー いつまでもアイ・ラブ・ユー
 どんなときも、・・・・・・

でも、そのうたをお母さんは歌い続けることが出来ませんでした。すごく年をとって病気になってしまったからです。息子はお母さんの部屋に入り、お母さんをだっこしました。ゆらりゆらり、ゆらりゆらり。そして息子は歌いだしました。
 アイ・ラブ・ユー いつまでもアイ・ラブ・ユー
 どんなときも、僕が生きている限り、あなたはずっと、僕のお母さん
 
その夜、自分の家に帰った息子は、2階に上がり、しばらくの間部屋の前に立ち止まっていました。それから部屋に入りました。そこにはまだ生まれたばかりの赤ちゃんが眠っています。彼は赤ちゃんをだっこして、ゆっくり、優しくあやしだしました。ゆらりゆらり。そして赤ちゃんをだっこしながら歌います。
 アイ・ラブ・ユー いつまでもアイ・ラブ・ユー
 どんなときも、僕が生きている限り、おまえはずっと、僕の赤ちゃん
 ラブ・ユー フォーエバー

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December 04, 2006

育児はかっこいい!

 読者層を乳幼児の父親に絞った育児雑誌が登場した。季刊『FQ JAPAN』(発売元:アクセスインターナショナル)である。英国で発行されている人気雑誌の日本版で、創刊号には映画俳優ジョニー・デップやサッカー選手デビット・ベッカム、ロックミュージシャン布袋寅泰らの子育てインタビューが掲載されている。
 昨年から今年にかけて、子育て雑誌は創刊ラッシュ。なかでも『プレジデントファミリー』『日経キッズプラス』など、父親を読者層に設定したことで注目を浴びた。いずれも主に小学生の父親が対象で、受験や習い事がテーマのノウハウ企画が中心である。
 今回発行の『FQ JAPAN』は、新米パパ向け。「乳幼児とどう係わっていいか分からないという父親に、とにかく子育ては楽しいよ」と育児に参加する男性のかっこよさをアピールし、育児参加を促すのが狙いという。
仕事で忙しい父親が短い時間で子どもと交流するためのアイディアや、各国の育児休暇情報もなども紹介される。
 1999年、当時の厚生省は「育児をしない男を父とは呼ばない」というキャッチコピーを用いた子育て支援社会をめざすキャンペーンを行った。それから10年近くが経とうというのに、なかなか改善されない子育て事情である。
 いよいよ、じいさんばあさんの出番であろうか。

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