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September 03, 2005

アメリカ大統領にあてた一通の手紙

 日米双方の死闘の末に、硫黄島が米軍の手に落ちてから40年後の昭和60年2月19日、硫黄島で戦った日米両国の
将兵やその遺族たち(米側退役軍人・遺族270人、日本側約100人)が、硫黄島で一堂に会する“名誉の再会”が行われた。
この手紙は、その式典に参加していたマイケル・ジャコビー少年(16歳)がレーガン大統領に宛てて書いた手紙である。
(桐原書店の英語教科書に掲載)

〈大統領閣下
 私の生涯に深い刻印を残した個人的体験を、大統領にも知っていただきたくペンを取りました。
 私の祖父は、硫黄島の戦の悲惨さと恐怖をよく語り、私も海兵隊員だった祖父の写真を見、書物も読みました。それが1985年2月、にわかに現実のことと化しました。祖父がその戦場に私を連れて行ってくれたのです。
僧侶が焼香を済ませると牧師が説教をし、軍楽隊が両国国歌を吹奏しました。米国側の一将軍が大統領がこの式典のために寄せられたメッセージの代読をしました。
 あの時、あの場で次に何が起こったかを大統領ご自身に見ていただきたかったと思います。日本軍兵士の未亡人や娘さんとアメリカ軍兵士の妻や子どもたちが、互いに近寄ったかと思うと抱きしめあい、身につけていたスカーフや宝石などに思いのたけを託して交換し始めました。男たちも近づいて、最初はためらいがちに握手をしましたが、やがて抱き合うや声を上げて泣き出しました。なかにはかつての敵に、この戦場で拾った思い出の品を返す人もいました。…
 40年前、この場所は砲丸や銃弾が飛び交い、死と憎しみとに満ち満ちていた。それがわずか40年間で、どうしてこのように変わりえたのか。昨日の敵が今日の友となりうること、祖父や祖父と手を握りしめている旧日本軍兵士によって、全世界の人々に示してもらいたい、とさえ思いました。…
 私はもちろん、祖国を愛し、一旦緩急あれば銃を取って戦うつもりです。だがしかし自分の孫が将来その人を抱きしめると知っていたら、その人を敵として殺すことを躊躇するでしょう。
  (中略)
島で私は最年少でしたから、他の誰よりもこのことを長く記憶に留めることができる。そんな身として、その日の感激を決して忘れまいと決心したのです。
 その日、硫黄島で習ったことをできるだけ多くの人と分かち合うのが私の義務だと感じています。ですから大統領閣下、誰よりもまずあなたからと思い、ペンを取りました〉


メールマガジン「 甦れ美しい日本 第027号 」 
      桜井裕子コーナー より

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Comments

日本と中国、韓国と近いばかりに(地理的にも、心理的にも?)双方甘えがあるのでしょうか。このところ、夫婦密着度の高い日々のなかで、親しき仲にも何とやらの言葉が頭をよぎります。まぁ、日中関係に比べれば低次元の話ではあります。

Posted by: 魔女っ葉 | September 04, 2005 at 08:52 AM

 日本と中国とでは、どうしてこういうことが出来ないのでしょうかね。

Posted by: watari41 | September 03, 2005 at 10:01 AM

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