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September 28, 2005

パリ万国博の日本代表

 愛知万国博は、一昨日の25日、6ヶ月の会期中2200万人の入場者を得て閉幕した。
世界で最初の万国博覧会は、1851年にロンドンで開催されたが、日本が正式に初参加したのは、慶応3年(1876年)のパリ万国博である。
マロニエの芽吹きが美しい4月1日、セーヌ河畔の会場での開会式に幕府代表の姿はなく、日本代表としてそこには薩摩琉球国大使の肩書きで薩摩藩使節団がいた。
十五代将軍徳川慶喜の使節団がパリに到着したのはその10日後。
薩摩藩は独立したパピリオンを建てて出品しているだけでなく、フランス皇帝はじめ各国の高官と万博関係者に「薩摩琉球国勲章」を贈呈。パリの新聞各紙は、日本には「薩摩琉球国」と「幕府」の二つの政府があって、日本の代表は前者のごとく書き立てていたいう(9/27,日経夕刊「あすへの話題」佐江衆一)。
二年前、留学生を引率して渡欧した薩摩藩士五大友厚がベルギー貴族モンブラン伯爵とパリ万博について打ち合わせ、策士モンブランが幕府に対抗する策を練り実行に移し、パブリシティも打っていたのだ。
幕府は抗議するが、薩摩藩代理人のモンブランは「薩摩は独立国だから将軍の支配は受け付けない」と突っぱね、日章旗の下で両者が展示を続けた。
 明治維新の前年、全世界から1000万人の入場者があった花のパリの檜舞台で、幕府と薩摩藩は火花を散らし、軍配は振興勢力にあがった。今日、このような地方自治体があるだろうかと佐江氏は言うが。


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Comments

watari41 さん
私の先祖は、薩摩藩の末席を汚したらしい。
父にいろいろ聞かされている頃は、少々の反発もありましらが、勝手に空を飛び回っているこの”旺盛な気分”は遺伝子ですかねぇ。

Posted by: 魔女っ葉 | September 28, 2005 at 09:47 AM

 我が仙台藩の伊達政宗は「奥州王」を名乗って、ローマに支倉常長を派遣したし、幕末の榎本武揚は朝廷に対抗して、「蝦夷国」を作ろうとしたし、薩摩だけではなくて昔はそんなおう盛な気分があったのですね。

Posted by: watari41 | September 28, 2005 at 09:12 AM

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