« April 2005 | Main | June 2005 »

May 31, 2005

風待月

いよいよ明日から六月。
六月の異名は水無月、語源は諸説ある。
旧暦六月は夏の盛りだったことから、水も枯れ尽きると言う意味で水無月。
田に水を引く月なので、水の月と言う意味で「水な月」(「無」は当て字)。農作業をみんなやり尽くした「皆し尽き」から「水無月」。雷が多いことから、「かみなり月」が転じて「みなづき」等など。
異称も多く、涼暮月、蝉羽月、鳴神月、松風月、夏越月、葵月、常夏月、そして風待月・・・・・・。どれも美しい呼び名ばかりである。
蒸し暑い日が続く中で、風を待ち、ささやかな風にも喜びを感じる。
人々がさまざまな名で呼んだこの月、心もそれだけ敏感になっているのだろうか。      山下景子『美人の日本語』より

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 30, 2005

空飛ぶ車いす

日本で不要になった車いすをきれいに修理し,旅行者の手荷物として東南アジアなどの人たちへ直接手渡す活動を進めているNPO法人がある。
飛行機で旅行する人に、手荷物で車いすを運んでもらうというもので、「飛んでけ!車いす」という名も嬉しい。
スタート7年間で「飛んだ」車いすは、48カ国、1000台に達するという。
この春結婚した札幌の大沼さんは、タイへの新婚旅行ではじめてこのシステムを活用した。
飛んでくのは、7歳年下の妹が、小学生のとき交通事故にあって使っていた車いすである。
届け先はパタヤの職業訓練学校でパソコンの勉強をしているヤイさんという女の子。
大沼さん夫妻が到着すると、遠くのほうから一生懸命に古い車いすをこいで迎えてくれた。
妹と同じ年ごろの20歳。「ちょうど就職が決まりました。新しい職場で働くのに、きれいな車いすが欲しかったの」とはじけるような笑顔。
寄付された車いすは、いろんな人の思いを乗せて飛んできた。(5/27、日経夕刊より)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

May 29, 2005

少女(おとめ)となりし、父母の家

久しぶりの実家は、みかんの花の香に包まれていた。
幹に巣くった虫を掻きだして消毒作業に励んでいた父の姿はもう見られないけれど、木を覆う白い花は、今年の豊作を約束しているようだ。

 海恋し 潮の遠鳴り かぞへては
   少女(おとめ)となりし 父母の家

“父恋し”である。
 亡くなる直前、潮干狩りに行ってその収穫に有頂天になっていた話で盛り上がった。
あの謹厳実直、優等生というイメージからは想像が出来にくいけれど、そう言えばその父の口から与謝野晶子の“あつき血汐”の歌の解釈が出たことがあった。
結構、文学青年でもあったんだなぁ。
このとき知った“血汐”と言う言葉。
血も、騒いだり、引いたり、湧きたったり・・・・・。我々の体の中にも、大自然が存在するということだろう。
たまには、心の潮騒に耳をすましてみようか。
体の中を流れる血を、海の潮にたとえた晶子。
今日5月29日は、晶子の命日(白桃忌)だと言う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 28, 2005

自身の衰え、心で詠む98 歳の歌人

兵庫県高砂の元医師・曽爾太郎さんは、このほど兵庫県歌人クラブ新人・特別賞を受賞した。
98歳という高齢で、目と耳が不自由になるなか、自身の衰えを題材に詠んでの快挙である。
受賞作のタイトルは「盲(めしい)」。

 盲わが些かの進歩求めつつ
    辛くも歌の学びに頼る
忍び寄る老いと向上心の狭間で苦悩する心、その心は前へ進もうと努力する力となると信じて、衰えに抵抗しながらもそんな心に合う表現を紡ぎたいと語る曽爾さん。

 盲もて歌の学びにたゆみなく
    みのり期しつつ歩をば進めむ
「目に見えるものはもう題材に出来ない。残された感覚で、心の世界を詠んでいきたい」と思いを新たにしている。(5/24、神戸新聞)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 27, 2005

言葉は「届いてこそ」

 吉沢佳子さん(東京コピーライターズ・クラブ会員)は、霞ヶ浦マラソンを走って日本ののどかさを満喫していたとき、門のそばにいすを並べて、おじいさんやおばあさんの応援を受けた。
「がんばってください」と、一人ひとりに語りかけるような丁寧な応援だった。“思わず「はい、ありがとうございます」。レース中なのに、お茶にでも呼ばれているみたい。和やかなやり取りを交わしながら走った”と言う(「日経マスターズ」2005年6月号)。
「がんばれ」は、確かに元気の出る言葉である。
しかし、がむしゃらに、無茶な頑張りを期待するばかりではない。
そんなに急がなくてもいいじゃないの、マイペースで行きなさいよと緊張を解く手助けになることもある。
言葉をどう使うか。
どうやって相手の心に届かせるか。
何気ない家族の会話から、日中首脳会談まで、すべて言葉は「届いてこそ」である。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

May 26, 2005

少数派をどれだけケアできるか

 話題の近刊『半島を出よ』が息子のところから回ってきた。
2家族間で新刊書をどちらが買うか、ジャンケンで決めるのがここ数年の習慣になっている。読書感想は、彼ら夫婦と我が夫婦のすべてが読み終わってからになる。
気の長いお楽しみではある。
この近くて遠い国、理解が及ばず、どこかいびつな国・北朝鮮の特殊部隊員を、冷静に丁寧に描写した超大作は、4人の読者の意見の相違も大きいのだろうか。
「今の政府には解決能力はない」と言いきる村上龍氏はさらに「少数派の意見が20年後には正しかったりする。少数派をどれだけケア出来るかでその国の民意が測れる」とも 。
そして「現実」を見ようとしない日本社会、と厳しい。
確かに経験のないことには危機感も持ちにくい。
もっと想像力が必要なのであろうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 25, 2005

小さな日韓交流

 2005年は日韓国交回復40周年。
姫路市では、日韓友情年の記念に「姫路韓国美術展」が開かれていた。
以形会という約70人のメンバーを擁する韓国美術団体の理事として活躍中の有方敏郎画伯が、姫路出身というご縁によるものらしい。
「韓流」が社会現象とまでなった中で、地方でも着々と文化交流が進んでいるということか。
華やかな色彩の花々、静かな表情の人物、不思議なオブジェと多様な作品。
『Sky-way』という絵が目に付いた。
暗い森の中を横切る1本の道に沿って、赤や青の小さな灯りが並んでいる。 黄色の2個の灯は、左右に移動している。魔女でも飛んで来やしないかと目を凝らしていると、長身の紳士が“This is my picture. ” と声をかけてきた。
“Good idea!”と指差すと、“One minute program”と嬉しそうだった。
 小さな小さな日韓交流である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 24, 2005

男も、魔女も鬼になる

     恋
恋に狂った男はやがて鬼になり
夜ごと街に出ては女を攫った
都大路から美しい女が消えていく
女を隠れ家に連れ帰りむさぼり喰う日々
刳っても喰っても足りることはなく
喰えば喰うほど腹は減っていくばかり
けれど喰うことをやめることはできない
ある日攫った女に向かって男は言った
どうか止めてくれと男は泣いた
それなら私があなたを食べてあげましょうと
女はにっこり微笑んだ 
          こじまみどり(神戸市在住)『鬼の庭』より

 辞書によると鬼の語源は隠(おに)、姿が見えないものの謂とある。
遠い昔話のなかだけではなく、現代人の生活や心象をも反映するメタファーでもあるだろう。
この『恋』にも鬼に仮託された現代のフォークロアが展開されているのではないか。
魔女だって鬼になることがある!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 23, 2005

乞食をやめてまでも筑紫を訪れてみたいという九州へのあこがれ

    春にわれ乞食やめても筑紫かな

 生き甲斐となった?乞食をやめてまでも筑紫を訪れてみたいという九州へのあこがれ、松尾芭蕉門下の俳人・河合曾良の句である。
曾良が幕府巡見使の隋員として九州の地を踏んだのは、61歳の時。
この西海巡見使は、福岡、呼子を経て、壱岐島に上陸。
曾良は次の対馬入りに備えて島内の訪問先や道順など事細かに確認していたという。
この几帳面な実務家としての一面が、後の『奥の細道』誕生の推進力であるとは、長崎新聞「水や空」子の分析である。
 私の50年ぶりの筑紫は、新緑の中を花を探しながら楽しかった。
7世紀後半、大和朝廷が西の守り、外国との交渉の窓口として置いた大宰府の学校院跡なども歴史を想い、現代を考えるいいきっかけであった。
几帳面ではないけれども、『魔女な日々』を発信せずにはおれない魔女である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 22, 2005

血液型人間学のウソ

A型の人はきちょうめん、Bは気分屋・・・などと血液型と人間の性格を関連付ける「血液型人間学」は“はっきりいってウソです。血液型は輸血のときにしか役立ちません”と言うのは心理学者村上宣寛さん(「『心理テスト』はウソでした」著者、日経BB社)。
血液に対する信仰は何千年も前からあるという。
血液が人間の性格に関係するという考え方は、4〜5000年前のインド、バビロニアの医学(体液説)にさかのぼる。「多血質」は血が多いから多弁で元気がいいなどというもの。しかし、人の心理を予測する力がなかったので、19世紀までにつぶれてしまった。つまり、大昔の科学的仮説に過ぎない。
村上さんによると、その後もこの血液型人間学というもの、きちんとした科学的手続きを経て提案されていないし、追試して確認した研究もないのだという。
仮にA型とB型の性格に違いがあったとしても、血液型以外の要因が働いているのかもしれない。
というわけで、魔女はこの血液型人間学に振りまわされるようなことはありません。
一応、魔女っ葉 O型です。

| | Comments (7) | TrackBack (1)

May 21, 2005

被爆者の聞き取り取材が,ドキュメンタリー作品に

1991年、第2次世界大戦中の日系人収容を描いた短編ドキュメンタリー『待ちわびる日々』でアカデミー賞を受賞したスティーブン・岡崎監督(53歳)は日系3世である。
今回、同監督の実績を評価した米大手ケーブルテレビ局が、長崎・広島の原爆をテーマにした作品製作を依頼。オカザキ監督は17日から、長崎で語り部活動に取り組む被爆者約10人も体験を聞き取り取材をした。
同監督は「60年もの長い間、体だけでなく心の痛み,苦しみを抱えて生きてきた被爆者の真実を米国の人たちに伝えたい」と語っている。
取材を受けた一人下平作江さん(70歳)は、母や姉を失い、焼け野原に自分たちで建てたバラックの絵を見せながら「米国は憎いと思っていたが、年を重ねるごとに、原爆をだれにも体験して欲しくないと思うようになった」と当時から現在に至る心境を話したという。
オカザキ監督は、6月から撮影を開始。長崎・広島の被爆者30〜50人の証言に加え、原爆直後に両市に入った米軍兵らのインタビューもする。
作品の完成は、来年8月、全米のケーブルテレビで放映予定。
            (長崎新聞、5月19日)

| | Comments (0) | TrackBack (1)

May 20, 2005

高校生平和大使、活動を世界にアピール

5月19日の長崎新聞『被爆60年』によると、今年8月、核兵器廃絶を願う被爆地の声を国連欧州本部に届ける「高校生平和大使」が、長崎県内だけでなく全国各地の高校生にも対象を拡大し、計5人が派遣されることになったという。
これまで平和大使は、毎年2〜3人が選ばれ、1989年から国連本部(米国)、2000年からは国連欧州本部(スイス)に派遣されて被爆地の思いを英語で訴えてきた。
実行委の川副忠子代表委員(61歳)は「高齢化する被爆者に代わり、平和運動を受け継ぐ長崎の若い世代が育ってきた。被爆60年の節目に、長崎だけでなく、日本の若い世代の核兵器廃絶を願う姿を国際社会に示したい」と話している。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

あああああ

清水径子『夢殻』83歳の句集
老婆うらがへせば春の蚊が鳴けり
倒れたる板間の葱に似て困る
春の雨夢とわかってもう晩年
「もう晩年」は決して後悔ではなく、これからは自由に生きようという達観に過ぎない

まさに第1級の老人の文学
彼らはそこで、短い言葉を積み重ねていく過程に、自身の老いをゆっくり納得して行く自慢を手に入れている

仁平 勝
「時評 歌句詩」(朝日新聞5月19日)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 19, 2005

島原の子守唄

久しぶりの長崎空港は、今日も雨だった。
黒猫ヒロシの年1回の同窓会は、夫婦同伴参加が原則である。
空港から雲仙の会場ホテルまでのバスの中は、すでに小学生の遠足状態。
関所と呼ばれるホテル入り口で会費を払うと、宴会場へ一直線。
近況報告もそこそこに、今年も無事に再会できたことを喜びあって乾杯、祝杯が続く。飲んで、しゃべって、笑って、校歌をうたい、応援歌をどなると2次会も終わりに近い。
締めは、ご当地幹事の「島原の子守唄」。
♪おどま島原の、・・・・くんのつの子守りよ・・・♪と酔いが哀愁をかきたてる。
島原の口之津は、江戸時代には“からゆきさん”を、明治時代にはあまり質のよくない石炭を輸出した港だったとの説明つきである。
貧しいまちだったらしい。
数を頼りに子どもを手放す親の胸のうちを、少子化時代の現代の親はどう受け止めるのだろうか。
哀しい唄である。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

May 18, 2005

「明日がない日」が来るまで

高齢女性の、高齢女性による、高齢女性のためのサイト「まじょのイチ押し」を立ち上げて5年、ついに100000アクセスの日を迎えた。
遅々とした歩みで、勝手気ままな更新作業が少し恥ずかしいが、「怖いもの見たさの“魔女”」に後押しされたような気もする。
100000アクセス目の人も、世俗を超えた魔女界を何事もなく通り過ぎて、ほっとしておられるだろうか。
それにしても、「おとといが過ぎて、昨日が来た。そして、昨日が過ぎて、今日が来た。」
この繰り返しは、いつまでも続くのだろうか。
今日が過ぎれば、明日は必ず来るのか?
そうではないことは自明の理である。人は死すべき存在だからである。
「明日がない日」がいつかは来る。
しかし、明日は、いつまでも続かなくていいのだと思う
重要なのは、今のこの瞬間を生きることだから。
200000アクセスの日まで元気で飛べるだろうか。
まぁ、何とかなるでしょう。魔女だもん!

| | Comments (2) | TrackBack (0)

May 17, 2005

21世紀料理教室、雪女パワー全開の液体窒素をつかって

今や世界の料理教室は、あたかも実験室のようだという。
もはや地球上の食材という食材を食べ尽くし、手持ちのカードがなくなったかに見えた20世紀末。
そこに、新しい食材がないなら食材のテクスチャー(食感)を変えればいいじゃないか、料理の構成要素を分解して再構築するのは等など、目からウロコの提案が続き、21世紀料理教室の夜明けが始まった。(「BRUTUS」5/15号)
その一つが、液体窒素料理である。
開発者は、スペインのダニエル・ガルシアさん(29歳)。
“何でも瞬時に凍らせる”という液体窒素の特性を利用して、オイルやリキュールなど普通は凍らないものもやすやす凍らせて、未体験の食感が楽しめる。
冷気に触れる時間を変えることで、形状や質感も変えられる。
雪女パワー全開と言う感じの液体窒素で、これからの季節にぴったりの冷え冷え料理が思うまま。
用意するのは、ボンベいりの液体窒素、発砲スチロールの箱に漉し器やスポイトなどである。
あなたも挑戦してみますか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 16, 2005

ヒトの年はゼロから始まって

 ゼロがついただけで
 何故十は一より大きくなれるのだろう
 ゼロが増えただけで
 何故百は十より立派に見えるのだろう

 ヒトの年はゼロから始まって
 十を過ぎることができたとしても
 百を過ぎることはなかなか難しい
 それなのにヒトはアタマで億や兆を考える

 欲に駆られた金の話に限らない
 宇宙を語れば小学生でも何百億と平気で言う
 ゼロがつけばつくほど数はどこまでも増長して
 アタマを風船みたいに膨らませる

 自分のカラダはどこまでいっても一なのに
 宇宙もほんらい一なのに
 数を覚えたおかげでヒトは大事な一を忘れる
 ゼロを畏れることを忘れる

 無限とはゼロが増え続けることではないと
 誰もが心の底では知っているのに
 足すのでなはなくゼロを掛ければ
 どうなるかだって分かっているのに

十と百に寄せて 谷川俊太郎(「いきいき」百号記念号より)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

May 15, 2005

「日本人のゴミ多い」マナスル

 エベレストや富士山の清掃登山で知られる登山家、野口健さん(31)が、来年春、ヒマラヤのマナスル(8163m)でも清掃登山を行うことを決めた(5/14、日経夕刊)。
数十人規模のチームを組み、1~2ヶ月かけてゴミの回収を行う計画だという。
マナスルは日本の登山家に人気の山であるが、その人気の陰で現地のネパール人から「日本人の残したゴミが多い」との不満の声も寄せられている。
 1956年に故槙有恒氏率いる日本山岳隊が世界で初めて登頂に成功したマナスル。
野口さんは、「初登頂から50周年となる記念の年に清掃登山することで、日本人全体にマナーの改善を呼びかけたい」と話している。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 14, 2005

100歳の歌声健在、「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」

 盲目の女性旅芸人「最後の瞽女(ごぜ)」といわれた小林ハルさんが、25日老衰のため105歳で死去。
1900年新潟県三条市の農家に生まれ、生後約100日にして失明、5歳で瞽女の師匠に弟子入りし、自立のために三味線と瞽女唄の訓練を受けたのだという。9歳で師匠とともに家々を巡る門付け回りを始めた。
「出雲節」などが得意で、会得した民謡や小唄は700以上だった。
1978年には国の無形文化財保持者に認定され、翌79年には黄綬褒章を受章している。
1973年の養護老人ホーム入所を機に門付けはやめたが、入所者のために唄を披露することも多く、100歳までその歌声は健在だったという。
 その壮絶な生涯を追うノンフィクション『鋼の女(はがねのひと):最後の瞽女(ごぜ)・小林ハル』(下重暁子著 集英社)を読むと“いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行”と自分に言い聞かせながら、鋼のように強くしなやかに生きてきたハルさんの姿に心うたれる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 13, 2005

「ヒロシの呪い」に困っとるとです。

 哀愁漂う音楽を背景に「ヒロシです……」という前おきに続いて、自らの不運な体験をボソボソと語るというスタイルで現在、各バラエティー番組で注目されているヒロシ。芸人になりたいと熊本から上京してきたが、なかなか芽が出ず、一度は夢をあきらめて3年間のホスト生活を経験。その間に味わった思いをノートに書き留めていたのだという。その愚痴や恨みつらみを書きためたノートが、今では役にたっているとか。(Yahoo!辞書、新語探検 [ヒロシです](2005年2月13日)による)
 このところ、巨人の「ヒロシ」はご難続き。
まさかの最下位低迷中は「ヒロシの呪い」かと、困っている?!。
11日のオリックス戦の試合前、この日の犠牲者は左の中継ぎエース、佐藤宏志。誤ってボールを踏み、右足首をひねった。今月中の復帰は無理らしい。それだけではない。
先発ローテションの柱と期待されながら、開幕後わずか1週間で右ひじ円回内筋の肉離れで戦線離脱した木佐貫の名前も、洋(ヒロシ)。それから、伊藤トレーニングコーチも、博(ヒロシ)。このヒロシ・コーチも最近、自損事故に遭い、愛車の左テールランプ下を破損した。
 そして、今季から採用された巨人の新球団応援歌「ファインプレーを君と一緒に」を歌っているのが、演歌の大御所・五木ひろし。ナインからは「他球団がロックやラップを導入している時代に、なぜいまさら、ひろしなのか」との声が。これまたヒットの兆しは、今のところ見当たらない。(夕刊フジ 2005年5月12日より)

 ついでに我が家の黒猫ヒロシは、只今韓国出張中。呪いはともかく、日韓関係に災いを振りまくような言動はくれぐれも謹んでほしいものだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 12, 2005

幸せなニュースの連鎖反応

見ていてつらく、恐ろしくなるようなニュースが多い。
JR福知山線の脱線事故もその一つである。
そんな中で先月、日本新聞協会は「新聞を読んで幸せな気持ちになった記事」を一般から募集した。
大賞は『財布盗難、犯人はカラス』という記事だったという。
“事件”の舞台は、沖縄県波照間島。人が住む島としては日本最南端のこの島には、一人だけ警察官がいる。ある日、観光客の一人から「財布が盗まれた」との被害届が。
“島の人が盗みをするはずがない”と思った28歳の巡査部長は、メロンパンを現場に置き張り込んだ。するとカラスがパンを加えて飛び去った。追跡すると、カラスがパンを食べている木の下に件の財布が落ちている。もちろん現金は無事。
福井新聞で女性で読んだ女性は、「信じることの大切さを教えられた」とこの記事に1票を投じた。
確かにこの警官が島民を疑い“聞き込み”を始めていたら、島の空気は変わっていかもしれない。
幸せなニュースは見た人も幸せにする。誰かに話したくなる。それが連鎖反応を起こせば、何かが起こるかもしれない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 11, 2005

牡丹の涙が湖に

 満州族に伝わる鏡泊湖(きょうはくこ)のお話。
       花物物語&花言葉 in てぃんくの家より

 昔、山の麓に牡丹という名の少女が病弱な祖父と二人で住んでいました。
牡丹は、裏山が芍薬の花で覆われて、鳥や動物たちと遊べる夏が大好きでした。けれども氷の龍がやってくる冬は家の中に閉じこもって暮らさなければならないので大嫌いでした。
牡丹は祖父に氷の龍をやっつける方法を教えてもらいました。
祖父は子供の頃から集めてきた瓢箪(ひょうたん)の中から砂金を取り出して30cm程の円盤をつくりました。
その円盤を鏡のように磨いて、誠実で勇敢な若者に海に持っていってもらい、日光を集めて氷の龍を倒してもらうというのがその方法でした。
 12年かけて円盤を磨き上げた牡丹の前に表れた若者、しかし、彼女の美しさにひかれて氷の龍を倒す約束をした若者の不誠実に泣く事になった牡丹。
この時牡丹の目から溢れ出た涙が流れて湖ができました。
 しばらくして牡丹を捜しに来た人々は崖を登りましたが牡丹の姿はありませんでした。そのかわりに、たくさんの芍薬の花の中に、ひときわ大きくて美しい花が咲いていました。人々は、この花を牡丹の生まれ変わりと思い、牡丹と名付けました。
 また、牡丹が磨いた鏡は牡丹の涙の湖の底に沈み、月夜の晩になると湖の底で光るのが見えました。人々はこの湖を鏡泊湖と呼ぶようになりました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 10, 2005

良き物・美しいもの

連休明けの鎌倉長谷寺の池は、白いカラーの花が群生していた。
「海芋」の立て札に、おじさんたちの“芋って里芋の仲間なんだろうね”とのささやきがおかしい。
確かに、さといも科ではある。
修道女のドレスの衿に花が似ていたからカラーと名付けられたと、教えてくれた父はもういない。
1843年オランダ船により渡来したこの花の名は「良き物・美しい物」という意味のギリシア語からつけられていて、オランダ海芋と呼ばれる。
純白の花は「ナイルの百合」とも呼ばれ、神聖なイメージがあるためか、婚姻の花、葬式の花によく使われる。
帰宅して裏庭に出てみると、長谷寺の花より大きなカラーが、たった3本ではあるけれども凛として咲いていた。
日当たりが悪く、湿気の多い土地が幸いしているのである。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

May 09, 2005

平和を謳う「戦場のピアニスト」

マキシムというクロアチア出身のピアニストの演奏を聴いた。
現代の「戦場のピアニスト」と呼ばれる29歳である。
細身の長身と華麗なルックス、黒のタンクトップに、ジーンズでピアノに向かう若者は「いわゆるタキシードとは正反対のスタイルかもしれないけれど、これはクラシック音楽を愛するピアニストである僕自身のごく自然なもので、スタイル自体がメッセージでもある」と語る。
旧ユーゴ解体で1991年に始まったクロアチア戦争。
当時15歳のマキシム少年は、手榴弾が投げ込まれる町の地下室で、ピアノの練習に励んだ。
その過酷な戦時下で「音楽が唯一の生きる支えであり、そこに生きる意味を見い出しました。ピアノがあったからこそ、戦争という運命に負けないでもっと強い人間になろう、素晴らしいピアニストになろうという希望を持ち続けることができた。もしピアノがなかったら僕はどうなっていたか、想像すらできません」と言い、「今の僕は、つねに平和を感じながらリラックスした気持ちで演奏できます。恐怖心を抱きながら練習していた頃とは心境もまったく違いますから、奏でるピアノの音色もきっと違うでしょうね」と、どこまでも爽やかである。
今、戦争の中で成長したピアニストが、力強く人々を魅了している。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

May 08, 2005

100年前から「お母さんありがとう」

今年は、ゴールデンウィークの最終日が「母の日」である。
なぜ5月の第2日曜日が「母の日」になり、カーネーションと結びついたのか。
諸説ある中で、“1908年の5月、米国ウェストバージニア州のグラフトンという町の教会で、最初の「母の日」のイベントが開催された”というものが一番有名だろう。
その3年前の1905年5月9日亡くなった、地域の平和や安全、健康に尽力してきた母親の遺徳をしのんだ娘が、教会に集まった人々に白いカーネーションを 分け与えたことに始まるという。
しかし、これより前の1870年代、「南北戦争で子どもを亡くした母親たちのグループが、平和を訴えたことから始まった」という説もあるようだ。
読売新聞解説部の菅野良司さんによると、欧州では、古くから母親とカーネーションは密接に関係があった。
十字架に架けられたキリストを見送った聖母マリアが涙を落とし、その跡から生まれたと言う伝説もある。
レオナルド・ダ・ビンチの1475年ごろの作とされる絵画「カーネーションの聖母」では、聖母が手にした真っ赤な花が描かれている。
いまや、遺伝子操作で枯れないカーネーションも実用化が近いとか。
母の子どもへの思いと子どもの母への愛は、永遠である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 07, 2005

見返り美人

大ヒットした邦画『シャル・ウィ・ダンス?』のハリウッド版が公開中である。
ダンスシーンは何度見てもほれぼれするが、中でも女性の「リバース・ターン」のポーズは素敵だ。進行方向と逆方向(reverse)へ回転するとき、背中をそらして顔を観客に向ける。
進行方向に逆らって振り返る。生きる姿勢としては、決して誉められたものではないかもしれないが、女性にとってのキメポーズではあるようだ。
ある結婚式場では、人気の高い花嫁写真の第1位が「バージンロードを歩く徒中で振り返る花嫁」の図だと言う。
映画『チャーリーズ・エンジェル』で、意中の彼のハートを射とめるべくキャメロン・ディアスが決めるのが「髪をたなびかせて振り返る」ポースである。
日本料理屋さんも、客を見送るときに印象に残るのは「連れの女性がちらと振り返って挨拶してくれること」とも。
どうやら「見返り美人」は、さまざまな場面で威力を発揮するらしい。
服飾史家の中野香織さんによると、軍服の詰め襟を「リバース・ターン」させて生まれたスーツの襟は、平和でくつろいだ場で着る市民服の象徴であり、袖を手首の部分でターンバックさせたカフスは、肉体労働とは無縁な有閑身分の証しである。
そしてこの着る人の余裕やゆとりを表現するパーツとして多くの人々を魅了しつづけてきた。中野さんは、そこに「見返り美人」心の余裕を見る。
しかしこのポーズ、男性にとっても同様の意味を持つというものではないようだ。
『第三の男』のラストシーンで、決して振り返らずに立ち去るアリダ・ヴァリのようなに、それはそれでクールである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 06, 2005

よく晴れた子供の日でした

   『ゆめをみた』 佐野洋子

 てんきがよくて しずかなひ だった
 かばのなんでもやは うとうとと ねむった
 そして ゆめをみた。

  (夢を見ては笑って、ウトウト、夢を見ては泣いて また眠る)

 そばにたって それをずっとみていた ねずみは
 「ぼくにも ゆめ うって」
 ねずみとかばは ふたりで なかよく ねむった

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 05, 2005

ねこふんじゃったオンパレード

♪ねこふんじゃった、ねこふんじゃった・・・♪スキップするように軽やかなメロディーでおなじみのピアノ曲。初心者でも演奏でき、アレンジも簡単、ハノンもツェルニーもサボって「ねこ」ばかり弾いては怒られるお稽古仲間もいた。
日本だけでなく、広く海外でも人気の曲である。
しかし共通するのはこのメロディーだけで、曲名は国ごとに全く違っているのだという。
「アヒルの子たち」(キューバ)、「王女の両足」(デンマーク)、「カツレツ」(フランス)、「お猿さん」(メキシコ)、「猫の踊り」(韓国)、「愚か者のポルカ」(アルゼンチン)等などだ。
去る4月30日、代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで『ねこふんじゃったフェスティバル=ノミのワルツコンサート』があった。このコンサートで演奏、歌唱されるのは「ねこふんじゃった」だけである。
「ねこふんじゃった変奏曲」、「ねこふんじゃったバロックスタイル」を始め、「中国風猫踏んじゃった」、「猫踏んじゃっタイランド」、「ねこふんじゃったフラメンコ」、「猫踏んじゃっタンゴ」など、ピアノ連弾はもとより、オーボエやフルート、電子オルガン演奏、それにピアノ伴奏付きの朗読「ねこの博物館」とねこふんじゃったオンパレードで、魔女のお供の黒猫ヒロシも、今日ばかりは居眠りも出ずご機嫌。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

May 04, 2005

心とはうらはらに

「初恋薊(あざみ)」、新潟県十日町の織物工業協同組合が選定した五月の誕生色である。
薊の花の、深い紫色だとか。
名前の語源は諸説ある中で、「あざむ」という言葉からきていると言う説が有力。
「あざむ」とは、びっくりすることである。
「かわいいな」と思って摘もうとし、刺が刺さってびっくりということか。
ゲーテの詩『野バラ』のなかで、野バラは、摘もうとした少年に「刺でさすわよ」と宣告、それは「あなたが、私のことを忘れないようにするため」だと言う。
不器用な初恋のころ。
傷つきやすい心とうらはらに、とげとげして、素直に思いを伝えられない・・・。
そういえば、そんな頃がありました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 03, 2005

日本憲法に「男女平等」を書いた女性

本日、憲法記念日。
時節柄、戦争放棄の第9条や、天皇制のことばかりが話題になり勝ちだが、わが国憲法の素晴らしさは、特に女性にとって、人権の条項にあるのではないだろうか。
50年前、GHQ民生局のスタッフとして日本国憲法の作成に携わったベアテ・シロタ・ゴードンさん(1923年生まれ、NY在住)の自伝を読んでいる。
構成・文を担当した平岡磨紀子さんは、あとがきで、「私はね、日本の男性はとても保守的だから、女性の権利をちゃんと憲法に書いておかなければ、民法に書き入れられないと思ったのです。そういう仕事をするのは、男性ですからね・・・・・・。でも運営委員会のケーディス大佐は、こういう細かい条項は民法にいれるべきもので、憲法に書くべきではないとカットしたのです。そのとき、私はとてもエモーショナルになっていたので、泣いてしまいました」というエピソードを紹介している。
日本で育ち、日本人を愛し、日本の女性がおかれていた様々の理不尽な状況をよく知っていた当時22歳のベアテさんの情熱と涙が、現行憲法第24条の「婚姻は、両性の同意にのみ基づく」「夫婦が平等の権利を有する」という基本理念を掲げさせたことを忘れてはならない。

| | Comments (1) | TrackBack (3)

May 02, 2005

メールは現代の短歌か

『源氏物語』の一部分をパロディ風に現代小説にした作家の清水義範さんは、その作中で携帯電話によるメールの交信を多用している。
主人公は、年下の光源氏への恋に溺れながらも、どことなく素直になれない六条御息所を40歳のプライド高い大女優にみたて、 光源氏役は年下の新進映画監督。
女性にまめに手を出すプレイボーイが、売出し中の若い女優に夢中になっていることに耐えられない大女優は、娘のアメリカ留学について日本を離れることを決意する。
男は未練たらしくメールを送ってくる。
「カリフォルニアは記録的な大雨だそうです。それでも僕を振り捨てて行ってしまうのですか。君が雨にぬれやしないかとそれが心配です。」と。
「私が雨にぬれることなど、本当は気にかけていないくせに」、その返事である。
これは、『源氏物語』のなかで、六条御息所が斎宮になった娘について都を出ようとしたときの源氏の歌と、それに対する旅先からの返歌である。
  ふりすてて今日は行くとも鈴鹿川
   八十瀬の波に袖はぬれじや
 返して
  鈴鹿川八十瀬の波にぬれぬれず
   伊勢まで誰か思ひおこせむ
この時代の短歌のやりとりは、要するにラブレターであると、清水さんはその著書「大人のための文章教室」(講談社現代新書)で言う。
“古歌にならいつつ気のきいた工夫をしてくどき文句を送りあっていたのだ。そして今、そういうことをメールでしているのだと考えよう。携帯電話というものはもう世界中に普及しているが、メールが盛んなのは日本である。あれを文字送り機として使うのが、日本人は妙に好きなのだ。日本人は手紙好きなのであり、古くさかのぼれば短歌のやり取りにつながる伝統なのではないだろうか。” 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 01, 2005

ブロガーの自戒

最近、調べもので検索すると、個人サイト(ブログ)が大量に引っかかる。
必ずしも有効な情報が得られると言うわけではない。
そのことに言及した30日の日経新聞春子は、「名前や素性は明かさないが、それでもボクやワタシの話を聞いて欲しい自称評論家やタレントがパソコンの向こう側にひしめいている」と厳しい。
そして、書き込みに精を出す40代男性の 「誰も読んでくれなくてもいい。何ものかが自分を見ているという状態を作り出し、そこで体験や思いを言葉にすれば自らを律することができ、仕事や生活に励みが生まれる」という声に驚きを隠さない。
同じ構図をエルサレムの「嘆きの壁」で見たとも言い、“ユダヤ教徒は、体を揺すりながら壁の「向こう側」に延々と語りかけていた。宗教の違いはあっても、自己と自己を見守る超越者を言語でつなぐ行為が「祈り」だろう。 情報化時代の神はネットの闇にも宿る。人を煽るのではなく、声を聞くだけの神であってほしい”と書いている。
自戒をこめて、今日も発信を続ける魔女である。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

« April 2005 | Main | June 2005 »